
上品寺のえんまさま
私は常々「バチが当たる」という考え方は日本人オリジナルの考え方なのではないかと思っている。西欧ではだいたい「罪深い行い」とか「罪を犯した」などと言いかたをするし、ましてや「バチ当たりなことを」などという言いまわしは、多言語には見当たらないのではないか(憶測ですが…)。
それでは、この「バチ」はいったい誰が日本人に与えるというのだろう。そしてどんなことをした際に? これだけで、日本人のほとんどが知らずに信仰してしまっている神仏がいることがわかるだろう。そう「エンマさま」である。

上品寺・閻魔堂
今年の旧盆は実は9月2日
7月16日は、1年に2回(あと1回は1月16日)だけ地獄もお休みするという「藪入り」の日である。「地獄の釜の蓋も開く」この日は、地獄で亡者を煮ている釜の蓋もあけられ、責め苦を与える鬼たちもお休みするくらいなのだから、世の中のすべての人も休みなさい、という意味を持っている。
旧暦4月に閏月が入った今年は、かなり夏場に新暦とのズレが大きくなっているため、今年の旧盆は新暦9月に入ってからであり、古来の薮入りは新暦で言えば今年の9月3日になる。今でも、古くから続く老舗の中にはこの薮入りを全休としているところもあって、現代の私たちには「何の休み?」と思ったりもするが、これに気がついた時にはかなり感動してしまう。

参道入口
新義真言宗の上品寺に鎮座する閻魔大王
なので、新暦の7月16日に閻魔大王の話をするのは、老舗のしきたりを守っている人たちを前にすると早すぎる気もするが、このサイトに訪れてくれる方々の検索が、最近「閻魔」関連で多いのは、やはりえんまさまの縁日である7月16日が近いからだろうと思い、未紹介の閻魔堂をご紹介しておきたいと思う。
それが葛飾区の上品寺に鎮座するゑんま大王である。上品寺は「じょうぼんじ」と読み、新義真言宗のお寺である。上品とは極楽往生を9段階にわけた上位3つを指している言葉で、以前九品仏(浄真寺)のところで書いたのでご参照のほどを。また、新義真言宗とは和歌山の根来寺を本山にする真言宗の宗派、私もまだ参拝したことがないが近々訪問したいと思っている。

長野県・典厩寺のえんまさま
区内最大の閻魔像は川から流れてきた
上品寺の本尊は、阿弥陀如来で運慶作と伝わる。余談だが特に関東には伝・運慶作の仏像が多いが、運慶作ならば推定に止まっているものさえも国宝であるし、多くは鑑定家の間でそうは認定されていないのが実情だ。そういえば新宿・太宗寺のえんまさまも伝・運慶作だった気がする。
上品寺は本尊よりも、境内入ってすぐに建つ「閻魔堂」の方が名が知れ渡っている。何しろ木造坐像が2メートル強で、室町時代初期の作ではないかと考えられているものだ。一説には、洪水の中、そばを流れる中川を流れてきたところを引き上げた像だという話もあるらしい。このサイズは葛飾区内最大の閻魔像となる。ちなみに日本最大とうたっているのは深川・法乗院のえんまさまである(何が最大かは不明。重さだろうか? 高さだけだと長野県の典厩寺のえんまさまは6メートルと言われているので)。

深川・法乗院のえんまさま
江戸16閻魔の一仏
ところで以前、「江戸44閻魔」というものをご紹介したことがある。どうやら、これをもっと絞った「江戸16閻魔」なるものが存在するらしい。たぶん、江戸百閻魔の中から選りすぐった16仏を選んで江戸時代に巡拝したということなのだろうが、この16仏がどこなのか、まだ資料を探しきれていない。この16仏は宿題にさせてください。
で、この16仏の1体が今回の上品寺のえんまさまなのである。もちろん「江戸44閻魔」にもエントリーしている。江戸時代中期頃には大変人気のあったえんまさまだったということだ。閻魔堂正面の像の後ろには釘抜きが飾られ、手前にはえんまさまの別の姿と言われる地蔵菩薩が祀られている。

上品寺の本堂
閻魔信仰が広がった訳とは
閻魔信仰は、江戸時代頃から盛んになったと言われる。自らの地獄行きを阻止したいとか、父・母をはじめとした先祖があの世でよい裁きを受けられるようにとか、子どものしつけのためとも言われている。何れにせよ、「今悪事はバレなかったけど、やっぱりいつかはバレる」という畏れがえんま信仰につながっているのだろう。俗にいう「天網恢恢疎にして漏らさず」である。
この世で法律で罰せられなくとも、あの世では必ず地獄行き。理不尽な世の中に対して、閻魔の前で他人をそのように訴える人もいただろう。

えんまさまの横には舌を抜くための釘抜きが
日本独特の閻魔信仰に
エンマの原型は仏教より先にインドにあったという。これが中国にわたり十王信仰(10人の地獄の王が亡者の行き先を決める裁判を行うと信じられた)を生んだ。日本に渡るとこの中の1人の王・えんまさまだけが厚く信仰されるようになる。江戸時代に人気沸騰し百以上あったえんまさまも、今では44体、それすらも参拝できない状態になってしまっている。そんな中、上品寺のえんまさまは今も健在で、多くの参拝者が境内を訪れていた。なぜだかホッとする景色である。

境内には出世八幡宮も
なぜなら、本当はバチを当てるのは、実は自分の中にある良心であることが多いと思うから。えんまはそんな良心を持った多くの人に信仰されてきたのではないか。今の中国に十王信仰はない。アジアで残っているのは日本だけであるが、それも残り少なくなってきた。この世でバチが当たらないなら何をしてもよい──そんなふうに思っている人には「バチ」を当ててください──実は私は閻魔大王にそうお願いをしてきた。まったく上品ではないお願いをした私は地獄に落ちるかもしれないけれども。
コメント