桃の神さまは貴重な神さま

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お祭・催事

3月3日は「ひなまつり」と呼ばれる女の子の日である。5月5日の端午の節句は、すでに男女平等との声から「こどもの日」と呼びかえられ、女の子もそこそこ楽しんだりしているが、ひなまつりは今でもかぎりなく女の子のお祭りであるようだ。

本来の意味からはどんどん離れて

桃の節句は、本来1年に5回ある「節句」(元々は「節供」と書き、重要な日のお供えを意味するもの)の1つを指す。ちなみに5回のうちの残り4回は、七草(正月7日、七草がゆを食べる日)、菖蒲(5月5日)、七夕、菊(9月9日、今の日本ではほぼ無視されている)という。
桃は、はるか昔から「邪を祓う」力を持つ植物と言われていて、古代中国を中心にアジア各国にその文化が伝わっている。平和で幸福な世界のことを桃源郷と呼ぶのも、不老不死や超自然的なパワーを得られる「桃」がふんだんにある世界がユートピアのイメージに結びついたためだろう。

イザナギとイザナミ

イザナギとイザナミ

イザナギを助けた桃は

桃の霊的な力は、日本の国づくりの話の中にも登場している。
縁結びや夫婦円満の神さまとして知られている、イザナギ(男神)・イザナミ(女神)は、国を創り、日本にあまたいる神々の多くを産み出した神さまである。
火の神を産む際に死んでしまったイザナミを追って黄泉の国まで追いかけていったイザナギは、腐って蛆まみれの妻の姿に怯え逃げ出してしまう。怒り狂って追いかけてきた妻たちから逃げる際、桃の実をイザナギは投げつけるのである。
余談だが、こんな神話を持つ夫婦神を縁結びや夫婦円満の神さまとして祈願してよいものかと、いつも私は訝しんでいるのだが、まぁ考えてみたらこの2柱が存在したからその後の神話も誕生していったわけで、オリンポスの神々の話と比べたらかわいいものかもしれない(いや、どっちもどっちかも…)。

桃の神さまの使命とは

なんとか地上へ戻れたイザナギは、桃の実に感謝し、神名を与えた。「おおかむづみのみこと」(意富加牟豆〈都〉美命や大神実命などと表記される)という神さまの誕生である。
ところが、この神さまを祀っている神社がほとんどない。
東京には、多摩関戸にある熊野神社の相殿、関所だったためにかろうじて残っている神さまかもしれない。
というのも前述の神話から、桃は地上と黄泉の国の分かれ目をきっぱりと分けたもののモチーフとも言えるからである。イザナギは追ってくるイザナミの手下たちの出口を大岩で塞ぎ、イザナミと完全に離縁したのだ。

「桃」は断ち切る力がある

実際、日本全国でオオカムヅミを祀っている社を調べたところ、富山県黒部にある「新治神社」など創建は古く、何かしらの「別れ」を意味している社である。もちろん愛知県の「桃太郎神社」や兵庫県の「桃島神社」といったわかりやすい神社には、もちろんオオカムヅミは祀られている。
オオカムヅミって、もしかして、良質の縁切りの神さまなのではあるまいか。
鬼に豆を撒くのも「魔滅(まめ)」という音が通じて「豆」になったと言われているし、“魔を滅する”ということは「祓い」を意味するわけで、オオカムヅミ(意富加牟豆美)の名前に“豆”が入っていることもあながち無関係ではないような気がする。
加えて桃太郎の例を見てもわかるように、鬼と桃の因縁は深い。

桃の節句が庶民のひなまつりへと変化したのは、江戸時代になってからだ。平安時代には、貴族の間でひとがたに厄を移して流すという、「流しひな」の原型が生まれたらしい。当然、女子も男子も関係なく行われていた季節の節句だった。
江戸から昭和にかけて人気だった段飾りのひな人形も、最近ではだんだんと簡略化され、流しびなのような形態が好まれ始めているという。
時代は流れて、桃の節句の形も1500年ほどでひとまわりし始めたのかもしれない。

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