桃の節句は穢れを祓うことが始まり

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「首都圏の知事が緊急事態宣言の解除に慎重」みたいなニュースが流れていて、加えて「8割の人たちが延長を希望している」といったアンケートも流れているのを見て、ホントかいな〜と大いに疑問を持っています。知人は「年金生活者が多いから自粛しても困らない人がいっぱいいるんだよ」というし。…それじゃ、日本は沈没してしまいますがね〜、年金生活者こそ先人の知恵を使ってこんな悲惨な状況から一日も早く立ち直る姿を提示してほしいものです。世界中は今、真逆の方向に動いているというのに。
本当にこんなふうにお上のいいなりに好き勝手やられていいと思っているんでしょうか? 日本はどんなものとも共存し、取り入れ、よい方向に転化してきた歴史があるというのに。こんなやり方はとても日本的ではないし、あまりに他人に対する思いやりがなさすぎると思うのです。キャンセル・カルチャーに対応する日本語がないように、昨日の敵すらも政治の中枢に迎入れてきた日本の文化的土壌とは相入れないやり方は、そろそろ終わりにしてほしいです。

 

理解できない自粛の要請

昨日、久しぶりに小さな病院に行ったら他に誰も患者さんがいなくて、あっと言う間に会計までも終わってしまい、いつものようなつもりでいたのであとの予定が大幅に狂ってしまいました。いったい、この自粛で誰が得をしているのでしょう? 厳しい自粛をしたカリフォルニア州と、まったく自粛しなかった(もちろん基本的な消毒作業などは実施)フロリダ州では感染者数が、ほぼ変わらなかった。感染者曲線もほぼ同じ形というような統計が示す通り(むしろフロリダの方が抑えられていたという意見もあり)、自粛行動と感染率との相関関係は証明できていないのです。すでにニューヨーク州に住むお金持ちたちはフロリダ州へ引越しを始めたとか。自粛しなかったフロリダは、今回、あまり経済的な打撃を受けてないですからね。日本人はどこへ逃げたらいんでしょうか? のちに、各国政府や日本も都道府県含めて多くの訴訟を抱えることになるでしょう。なにせ証拠もないのに商売のジャマをし続けてきたのですから。

和歌山の加太淡嶋神社

和歌山の加太淡嶋神社

「ひとがた」流しは祓いの行事

と、長々と愚痴をこぼしましたが(900Wも!)、昨日は日本の古くからの慣習であるおひなさまでした。
源氏物語にも「流し雛」の話が登場するほど、「上巳(じょうし)の節句(穢れ払い)」は古い行事です。平安時代ころには、夏越や大晦日の大祓と同じように穢れを祓う日として、自分の穢れをひとがたに移して流すことで祓いを行なっていたものです。
今でも神社やお寺などに和紙でできたひとがたが置いてあり、名前などを書いてお祓いをしてもらいますね。特に水に関係する神さまや仏さまをお祀りしているところにはよくあるものです。弁天さまやスサノオ、愛宕さまなどでもよくみます。

光源氏も雛流しを

上記のように、上巳は桃の花の咲く季節であることから、やがて「桃の節句」とも呼ばれるようになりました。われわれは桃の花の開花時期を3月上旬と思っていますが、令和3年の今年で言えば、旧暦3月3日は新暦の4月14日、ということで桃の花の開花は3月下旬から4月なのだそうです。北のほうでは5月になるところもあるとか。ソメイヨシノの開花と近いんですね。桃の原産地は中国と言われていますが、日本にも縄文時代以前からあったのだそうです。主に薬用として考えられていたようなので、古来、邪を祓うものとして考えられてきたのもわかる気がします。
このように、桃の節句の始まりは、祓えの儀式なので女子も男子もひとがたを流し、穢れを払いました。光源氏(ジャニーズではない方)も須磨の巻で、陰陽師とともに上巳の祓を行います。

ひとがた

ひとがた

「流し雛」の始まり

この祓えの形がのちの時代に「流し雛」として、淡路神社などで引き継がれていきました。関東でも神奈川の淡路神社や隅田川などでも行われています(今年は中止になりましたけどね、祓われなかった穢れはどうなるんだろ…)。
日本におけるお人形というのは、ある意味「ひとがた」であり身代わりなんだろうと思います。災難は人形に、そして穢れをもって水に流す─という文化がありました。江戸時代までは、人は、生まれても大人になるのは困難で、子どもはいつでも神さまに取られるものだと考えられていたのです。なので、誕生とともに神さまに身代わりとなる人形を奉納したりもしました。取っていくならばこちらの人形にしておいてほしい、との願望ですね。

「飾り雛」の誕生

ひとがたを流す桃の節句が、現在のような人形飾りになったのは割と最近で、江戸時代の頃ではないかと考えられているようです。世の中が平穏になり、少し豊かになったこともあるのかもしれませんね。ただ、だんだん豪華になっていくにつれ、川などに流すにはもったいないものになってしまったので、「祓い」の代わりに「仕舞う」ようになったんですね。なので、節句をすぎたらすぐに片付けるのがしきたりとなったのです。
そして、この頃から、桃の節句は女の子の行事となりました。お人形の華やかとともに女の子が着飾り、おいしいものを食する日と認識されていきました。

男の子の成長祈願が端午の節句に

戦国時代頃から、5月5日(端午の節句/5月最初の午の日の意味)が定着、別名が「菖蒲の節句」とも言われていたこともあり、武士の間で「しょうぶ」=尚武(武道・軍事などを大切なものと考えること)と同音だったことで男子の成長を祝う日となっていきました。金太郎や弁慶などの人形を飾るのは、元気に育って欲しい、そして兜・鎧・刀は禍などから子どもを守るという願いから始まっているといいます。これに対しての「ひな祭り」の成長といえるのかもしれません。
いずれにしても、こうした子どもに対する祈願は、豊かさの裏返しでもありますね。
関東で始まったとされる「鯉のぼり」など、いくさの絶えない時代にはとうてい上げることなどできないものだったでしょうから。

子どもの生存率の高まりとともに変化

こんな感じで、桃の節句と端午の節句は男の子と女の子の行事として、広く祝われてきました。最近ではまた再び、「男女の区別なく祝った方がよい」という風潮になっていますが、昔は男女の生存率がかなり違い、男子は鎧や兜で守られていないとすぐに病気で取っていかれてしまったということもあります。今は医療の発達のおかげで、生存率にそんなに大きな差はないのでしょうけれども。

さて、これらの「節句」は神道行事でも仏教行事でもありません。陰陽五行説(これも陰陽道と五行説と他の何かが合体したもの)に由来するものです。他にも日本にはクリスマスやバレンタインなどなんでも取り入れる土壌があります。たぶん、キリスト教も宣教師たちがあんなに他宗教に対して排他的でなく、日本人たちを奴隷として連れて行こうとしなければ、もしかするともっと早くに上陸していたかもしれません。日本人は不思議なほど、他人に対して寛容だったのです。
大人しい、という意味とは少し違う気がします。たぶん、それはすぐに相手の立場になってものを考えてしまう性質にあるのではないかと思うのです。今回のコロナ騒動も他人の立場になれば、都知事もあんなふうには振る舞えないのではないかと思い、桃の花の枝で払ってやりたい衝動が起きる今日この頃です。

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