神さまにも得意・不得意があるのかな

新サイト「レッツ!お詣り!!」はこちらから
お祭・催事
牛頭明王像(スサノオの別名/埼玉・竹寺)

牛頭明王像(スサノオの別名/埼玉・竹寺)

今年も明日からの浅草寺の「ほおずき市」は中止だというのを聞いて、がっかりしていたところ、京都の祇園祭りでいくつかの山鉾が建つと聞いて気分が一気に上向いた。残念ながら山鉾巡行はないようだが、代わりとなる「御旅所拝礼行列」のための「くじ取り式」も無事終わり、人々が祇園の神さま(スサノオ)にご挨拶する一連の行事は整ったようだ。
元々、祇園祭は日本中に流行っていた疫病退散を祈願する目的から始まったお祭りであることを考えると、今こそやるべき祭事ではないかと思っている。もし、祭り鑑賞にきて、疫病にかかる人が大勢出たとしたならば、それが天の意思なのだろう──まぁ、運営側はそう割り切れはしないだろうが。

霰山神山

霰山神山

今年の一番くじは「霰天神山」

今年の「くじ取り式」で前祭の「山一番」を引いたのは霰(あられ)天神山だった。思わず「あれ?どこに建つ山だっけ? 」と記録写真を引っ張り出したほど注目されることの少ない山鉾だったが、前回(2019年)のくじは最下位だったらしい。この山鉾のきっかけは、戦国時代初期の頃、京都に大火が起こった際、あられが降り火は瞬く間に鎮火するという出来事が起こったのだが、このあられとともに降ってきた一寸二分(約3.6センチ)の天神像を祀ったことに始まる山鉾なのである。なんとなく、非常事態に現れる偶然としては不思議なくじ取りである。今回の山鉾建ても、全山鉾が建てられるわけではない。34の山鉾のうち17が経つ予定となっているに過ぎないのだ。運営側の苦労がよくわかる話である。山鉾巡行を中止したこの2年(もしかしたらもっと長いかもだが)を、数年後にどのように振り返るのだろう。大きな団体は、追随する他の事柄にも影響を与えるわけで、今回のコロナ騒ぎはそれがよくわかった出来事だった。騒ぎ立てるメディアがなければ、これほど全国民が極端な行動をとっただろうか。「一致団結して◯◯に挑もう!」と戦意を煽っていたころと何も変わりはしない。

浅草寺・雨のほおずき市

浅草寺・雨のほおずき市

今年は護国寺で参拝予定

12月の冬至から「坂東三十三観音霊場」巡りをはじめたことは以前お話ししたが、実は、浅草寺の四万六千日を最後として結願する予定でいた。一応仕事もあるし、天気の予定もあるしで、思うようには巡拝できないでいるのだが、「ほおずき市」が今年も中止と聞いて、間に合わせる気が一気になくなった。もちろん四万六千日法要は行われるのだし、中止は露店がないだけに過ぎないのだが、今年は浅草寺はやめて護国寺で四万六千日を参ることにした。浅草寺は学生の頃から大好きなお寺で、1年に何度も参拝に行くし、付近のお店にもずいぶんとお世話になった。きっとこれからは参拝の回数が減るに違いない。台風直撃の日の四万六千日にも行ったことがある私であるが。

八坂神社

八坂神社

スサノオが祀られてきた理由

先週末からの大雨で、各地でまた水の被害が出ている。被害に遭われた方々にはお見舞いを申し上げたいと思います。水の被害は、表面上は落ち着いているようでも、後々、どのような影響があるかわからないので、まだまだお気をつけください。
日本は、古来、水の被害と戦ってきた歴史がある。この被害の歴史を紐解くと、スサノオを祀る神社(お寺も)に行きつく。川のそば、海のそば、鉄砲水の出る山際などには、総じてスサノオが祀られている。水の災害を起こすのは荒ぶる神・スサノオだと思われてきたからだ。特に、流れを大きく変える大河は、川に近くもない場所にスサノオが祀られていたりして、古い時代にこの場所に川の流れがあったのだろうことを知ることができる。私はそんなスサノオの神さまが大好きなのである。

大宮・氷川神社

大宮・氷川神社

スサノオの総本社が八坂神社

何より、まったく素直で自分に正直な神さまである。気に入らなければ暴れるし、泣きわめき、他人の迷惑などほぼほぼ考えない。お日さま(天照大神)が隠れてしまうというような事件を起こしても、神として今でもたくさんの寺社に祀られていることはそれだけパワーがある証拠とも言える。逆に言えば、気分を害すと何をするか分からないのだから、お願いごとをするよりも、いつでも気持ちよく過ごしてもらうことが大事な神さまとも言えるだろう。
この総本社が祇園祭を行う八坂神社なのである。水害が起こるたびに「スサノオの神さまお鎮まりを…」と思ってしまう。そういえば、このところお寺ばかりを巡っていたから、スサノオの神さまに挨拶してない日々が続いている。今、住んでいる場所は水の出にくい場所なので、近くにスサノオを祀る社がないのだ。一度、武蔵一宮の氷川神社にでもお参りするべきかもしれない。

祇園祭でいただいたうちわ

祇園祭でいただいたうちわ

その地に住まう神さまの理由

余談だが、埼玉県の大宮という地名は、武蔵一宮氷川神社があるからの地名である。日本全国にある一宮とか二宮という地名も、各地の一宮(例えば山梨県の一宮町は甲斐一宮・浅間神社、愛知県の一宮市は尾張国一宮・真清田神社があるから)から来ている。古くからある地名というのは、神さまや仏さまと結びついていることが多い。
八幡や稲荷、天神などという名をつけた地名はわかりやすいが、須賀町や八雲町などでもスサノオを祀る神社があることがわかるし、神明、山王という名もアマテラスや大山咋神を祀る社が近隣にあることを示している。これらを見るだけでも、日本人がどれほど土地と神さまを結びつけてきたかがわかるだろう。

関東大震災の震源地碑(神奈川・前鳥神社)

関東大震災の震源地碑(神奈川・前鳥神社)

災害を鎮めるための神仏も

今回、大被害となった場所には、火山の神さまや温泉の神さまはいても、水の神がいない。もともと伊豆は火山活動から隆起した場所であるし、険しい地形であるため古くから「伊豆の走湯、信濃の戸穏、駿河の富士山、伯耆の大山」と言われるほど知られた修験道場であった。こんな場所で水の災害が起こったのは、たぶん後発的な開発が関係しているのだろうと思う。そうでなければ、以前に似たような災害が起こった時に、これを鎮める神さまか仏さまが祀られていたに違いないから。
そう思う理由は、平塚の災害地を見たからだ。氾濫した金目川は金目観音とよばれる観音さまを祀る光明寺が川のほとりにあり、この川が大人しい川でなかったことがわかる。私は先週「坂東三十三観音霊場」の7番霊場であり、金目観音菩薩を祀る光明寺を訪れた。金目川のそばを走るバスに揺られ(この時もJRが止まって大変だった!)金目川を見ながら渋滞する道をお寺に向かったのだ。その道が崩落している。

光明寺・観音堂

光明寺・観音堂

このところ、すべてが悪いところまわりしているようにも見える。ミスをしたり嘘をついたりした時は、最初にもどってやり直した方が早いこともある。ほんとうに今のようなやり方が正しいのか、みんなが幸せになれるのか、政治家だけが考えるべき話ではなく、影響力を持つすべての人が謙虚になるべきなのかもしれない。私にはどうも最近の出来事が、天の采配のような気がしてならないのである。何事も自分だけの力で動いていると思うなよ、と。

コメント

タイトルとURLをコピーしました