
本家・阿蘇神社の倒壊の様子
くまもんとタモリとトミー・リー・ジョーンズのおかげもあって、熊本の地震からの復興状態はCMにもなっている。それに引き換え、東北の復興はどうなっているんだろう。原発のニュースはよく聞くけれども、地元の人たちの地道な復興ニュースはあんまり聞かない。日本人はよく忘れる民族だけに、もっと頻繁に露出しないと「もうすんだこと」になっちゃうんだけどなー。

城壁などが倒壊した熊本城
熊本城は加藤清正の忘れ形見
熊本が良かったのは(ちっとも良くない!のだけれど)、たぶん倒壊した建築物に目立つものが多かったからじゃないかと思う。熊本城しかり、阿蘇神社しかり。くまもんも熊本城だから、タモさんを連れていけたんだと思うんだよね。
私も子どもの頃、時折、阿蘇山に連れて行ってもらっていた。おぼろげながら、自転車で走り回っていたような記憶がある。今にして思えばわが父は、走り屋の先駆けだったのではないかと思う。まだまともに歩けもしない私をバイクの前に乗せ走っていたらしい写真が残っている。熊本城では見えるはずもないものをいくつも見た(気がする)。熊本城は加藤清正が造った堅固な城として有名で、一度も落城していないのだから、悲惨な死に目にあった人物はいないはずなのだが、見たのだから仕方がない。
そういうわけで、私自身も熊本の復興が何より気になっている。正確には生まれ育った地元ではないのだけれども。

東京の阿蘇神社拝殿
全部で12柱の阿蘇明神
熊本人の心の拠り所といえば、熊本城と阿蘇山、それにつながる阿蘇神社である。
実は東京・羽村には熊本県以外に存在する稀有な阿蘇神社がある。今回は、地震からの復興─もちろん東北一帯も含めて─祈願も込めてご紹介したいと思う。
本家の阿蘇神社の創建は、孝霊天皇9(紀元前282)年と言われ、すでに創建から2300年ほど経っていることになる。もっとも神話の時代であり、主祭神の健磐龍命(たけいわたつのみこと)は阿蘇山の神さまとされていて地元ではこの神さまが登場する神話が語り継がれている(神さまがころんだとか尻もちついたとか、の類である)。創建は父である健磐龍命を息子の国造(速瓶玉命)が祀ったことに始まる。のちに初代の神武天皇の孫である健磐龍命を中心にした妻、叔父叔母、兄弟、子孫とすべてつながりのある人たちが祭神に加えられ、全部で12柱が阿蘇十二明神と呼ばれている。
将門と秀郷、2人が手にかけたお社
この本家に負けず劣らず、羽村の阿蘇神社の創建も古い。多摩川が氾濫した時、阿蘇媛命(健磐龍命の妻)が現れ、これを治めたという逸話とともに推古天皇9年(601年)に創建されたと社伝にある。実は本家・阿蘇神社のある土地は阿蘇山のカルデラの間、無数の水の道があるどまんなかに建っている。名前に「龍」があることから水を治めるパワーも持っているのだろうことは想像にかたくない。
その後、日本三大怨霊として知られる平将門が社殿を造営、その将門を討った藤原秀郷が鎮魂のため社殿を修復、境内には秀郷が手植えしたと伝わるシイの木が樹齢・1000年を超える大きな枝を伸ばしている(都の天然記念物指定)。境内からは、中世の瓦や鎌倉時代作の鬼瓦などが出土している。
「長渕郷総社竜水山阿蘇宮」と称していた社名を、現・阿蘇神社に変更したのは明治期になってからのことである。

羽村の阿蘇神社の灯籠にも龍が
多摩川を治めるためのお社か
ところで、阿蘇神社が鎮座する羽村とは、古代からある地名で、武蔵野台地の西端に位置することから「端村」と呼ばれたとも、羽衣の里とされていたことから「羽村」になったとも言われている場所だ。加えて神社の地名は羽加美(はねかみ)という、神さまの名前のような地名なのである。社歴に「推古天皇九年の条(辛酉年)夏五月 天皇 耳梨行宮に居します。是時に大雨ふり 河水漂蕩 宮庭に満る(日本書紀)」が表記されている。「耳梨行宮」は現在でもどこか不明のお宮である。これをもって阿蘇神社…のこととするのにはちょっと無理がある気もするが、全国的な大雨が多摩川までも氾濫させた…ということならば納得もできる。
それほど多摩川は水量も多く、暴れ川だったのである。実際、多磨郡8座と呼ばれる延喜式に載る古社のほとんどが、多摩川の沿岸に位置している。多摩川の上流には「青渭神社」「虎柏神社」、多摩川の支流・秋川に「阿伎留神社」、中流には「小野神社」「大麻止乃豆乃天神社」「穴澤天神社」「布多天神社」と、祀る神さまはさまざまなれど、いずれも水を司る神を祀っている大社が名を連ねている。

羽村の取水口
玉川上水の始まり
江戸時代になり、羽村には玉川上水の取水口が作られるようになる。武蔵野台地を掘り進め約43キロメートル先の四谷大木戸まで流し、江戸市中は樋でつながれた。羽村と四谷の高低差は約92メートル、この差を利用して勾配を作り水の流れを確保したらしい。ちなみに幕府からもらった6000両の資金では足りず、この工事を請け負ったの玉川兄弟が自らの資産を売り払って完成させた上水である。
この羽村取水堰には門を開閉するための陣屋が置かれ、水神社を置き、鎮守として阿蘇宮(現・阿蘇神社)が、別当として一峰院が当てられた。
暴れものの多摩川は、江戸時代には江戸庶民にとってなくてはならない川となったのである。

自転車守り
サイクリングの聖地としても
現在の多摩川は護岸工事が行われ、川岸はサイクリングロードとしても利用されている。阿蘇神社はこの多摩川サイクリングコースの終点としても知られていて、神社では自転車守りが授与されている。これを受けるのを楽しみに「たまリバー50キロ」を走破しているライダーもいると聞く。
また、川の両岸には桜並木が続き、春には美しい川面を演出する。
東京都の市で最も人口が少ないと言われている羽村市だが、こうして歴史をひもとくと縄文時代からのつながる場所がいくつもあるのだ。今年も「花と水のまつり」として「さくらまつり」が3月24日〜4月9日、「チューリップまつり」が4月5日〜23日に開催される。サイクリングコースのスタートは「旧穴守稲荷鳥居前」。曰くの鳥居を眺め、今は静かに流れる多摩川の風を受けながら阿蘇神社を目指すのも、悪くないかもしれない。



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