どんなところでも助けてくれる菩薩さま・六地蔵

新サイト「レッツ!お詣り!!」はこちらから
お祭・催事

お地蔵さまの正式名称は地蔵菩薩といい、人々を苦しみから救うために派遣された仏さまとして平安時代以降、日本で独特の進化を遂げている。幼くして亡くなった子どもたちは賽の河原で鬼たちから苦しめられている、と言われるが、そこから天国に引き上げてくれるのがお地蔵さまといわれている。そのため、子どもの守り神とも言われ、例えば水子地蔵などはその典型であり、幼子の鎮魂に大いに祀られる仏さまでもある。今では、お地蔵さまは子どもだけではなく、様々な艱難辛苦から世の中の人たちを救ってくれる象徴として捉えられている。

「六道」それぞれにいるお地蔵さま

未だ誰も死んだ後がどうなるのかということを、この世でちゃんと記録した人はいない(たぶん)。なので、どんな宗教においても死後の世界の話は想像にすぎないと思うが、不思議なことに共通する考えに「輪廻(reincarnation)」というものがある(正確にはすべての宗教にある考えではない)。で、おおよその仏教には、生前の行い次第で、死後に行かされる場所が6つの世界に分けられている。「六道」と呼ばれる世界だ。
待遇の悪い方からいうと、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天上界…この6つの世界をたらい回しにされることから逃れられると─宗教や宗派によって考え方や言い方は様々だが─まぁ天国とか極楽に行けるということらしい。私はずっと六道の天の道が天国かと思っていたら、天道にも「快楽に溺れる苦しみ」があるらしい。天国とはちがうのか…。でも楽しそうだ…。
まぁ、誰も戻ってきて教えてくれない話なので、正確なところは不明である。
前置きが長くなったが、この「六道」はそれぞれ苦しみが違うので、別々のお地蔵さまが派遣された。以下は、各界を担当するお地蔵さまのお名前である。

地獄道には「檀陀地蔵」「金剛願地蔵」etc
餓鬼道には「宝珠地蔵」「金剛宝地蔵」etc
畜生道には「宝印地蔵」「金剛悲地蔵」etc
修羅道には「持地地蔵」「金剛幡地蔵」etc
人間道には「除蓋障地蔵」「放光王地蔵」etc
天道には「日光地蔵」「預天賀地蔵」etc

と言ったようなお地蔵さまがおられるのだ。
ついでなので、それぞれの道にいらっしゃる観音さまのお名前も、以前少し触れたが記しておこう。
宗派によって若干違うが、聖観音菩薩(地獄道)、千手観音菩薩(餓鬼道)、馬頭観音菩薩(畜生道)、十一面観音菩薩(修羅道)、不空羂索観音菩薩(人間道)、如意輪観音菩薩(天道)の観音さまが各道の担当である。
私には、それぞれの観音さまを祀るお気に入りのお寺がある。

 

「道」の守り神となったお地蔵さま

と、ここまではわりとどうでもよい話(どうでもよくはないが…)。
この「六道」とう名前のせいなのか、お地蔵さまはいつしか「道」の守り神にもなってしまった。よく、事故の多い交差点とか、事故死された方がいる場所などにお地蔵さまを祀るのは、亡くなった方の鎮魂だけではなく、「この危ない道をお守りください」の意味も込められているということである。
で、拙書「TOKYO最強パワースポットを歩く─西東京編」にもちょっと書いたが、江戸時代、大きな街道をお地蔵さんに守ってもらおうと考えた人がいた。しかもかなりでっかいお地蔵さまだ。この6体を「江戸六地蔵」と呼んでいて、今でも巡拝をする人たちがいる。
残念なことに、6つのうちの1体は、明治期に廃仏になってしまい、今は5体が残るのみである。この6体を1日で歩いて参拝して回った人たちも江戸時代にはいたというのだから大した健脚である。以下、本からの抜粋である。

 

「江戸六地蔵」

・「一番 品川寺」(京浜急行「青物横丁駅」から徒歩5分)
東海道入り口の真言宗醍醐派のお寺に1708年建立。お寺の開基は弘法大師と伝わる。本尊は二体の観音さま。太田道灌がお堂を建てた当時の名は大円寺で江戸時代に再興され現寺名になる。宝くじ祈願のお寺としても有名。

・「二番 東禅寺」(日比谷線「三ノ輪駅」から徒歩15分)
奥州街道入り口の曹洞宗のお寺に1710年建立。幕末に尊王攘夷派による英国公使館襲撃事件のあった、港区にある同名のお寺とは別のお寺である。本尊は釈迦如来。

・「三番 太宗寺」(都営新宿線ほか「新宿三丁目駅」から徒歩5分)
甲州街道入り口の浄土宗のお寺に1712年建立。内藤新宿に屋敷のあった内藤家の菩提寺として広大な敷地を持っていた。本尊は阿弥陀如来だが、閻魔像と奪衣婆像が独特で子どものしつけ祈願寺として有名である。

・「四番 真性寺」(JR「巣鴨駅」から徒歩3分)
中山道入り口の真言宗豊山派のお寺に1714年建立。巣鴨のお地蔵さんとしてはこちらの方が老舗である。本尊は薬師如来。旅の安全祈願にご利益があるとされ、境内には松尾芭蕉の句碑もある。

・「五番 霊巌寺」(都営大江戸線「清澄白河駅」から徒歩2分)
水戸街道入り口の浄土宗のお寺に1717年建立。お寺は以前日本橋付近にあり、霊岸島(現在の中央区新川)の地名のいわれである。本尊は阿弥陀如来。境内には幕末の老中・松平定信の墓など大名墓が多い。寺には六体揃った六地蔵もある。

・「六番 永代寺」
千葉街道入り口に1720一七二〇年建立したが、明治期の廃仏運動でお寺は廃寺、大仏は破壊され現存していない。現在、深川にある同名のお寺は再興されたお寺。

6体が持つ個性ある道具類

実は六地蔵は、お寺においては割とポピュラーな存在である。なにげに6つ並んだお地蔵さまを境内でみつけたりはしまいか。中には、とてもかわいい姿をしている六地蔵もいる。
ところが、日本の仏教にあってはお地蔵さまはえんま様の姿のひとつと捉えられている。つまり、お地蔵さま=閻魔大王、ということである。
(まぁ、菩薩さまも如来さまもみーんなブッダの変化形なのだから当然だけど…)
閻魔大王が、地獄で悪人を裁く際、悪事を何でも知っているのは、各界へ姿を変えて視察に行っているから─というわけだ。

お地蔵さまのスタンダードな姿は、僧の容姿をして、錫杖(ジャラジャラと音のなる鉄の棒のようなもの)と宝珠(桃が逆さまになったような丸い玉。何でも願いが叶う宝の玉と言われている)を持っている。江戸六地蔵の姿は、すべてこの基本形になっている。
ところが、1寺に6体並んでいる六地蔵さまは、それぞれ別の道具を持っていることが多い。その道具を使って、各界に落ちてしまった人々を救ってくれるのだそうだ。と、いうより言う事を聞かせるためのようなものにも見える。特に地獄や餓鬼、畜生道にいるお地蔵さまの持ち物が、なんだか分からないものも多くてちょっとコワイ。

善光寺の六地蔵の天道のお地蔵さまは、赤ちゃんを抱いていた。天道のお地蔵さまは、宝珠を持つ場合が多いのだが、子どもは「宝もの」という意味を込めて制作されたらしい。親に殺されたり虐待された子どもたちは、お地蔵さまが、ちゃんと天道につれていってくれるに違いない。そうでも思わないとやりきれない、親たちの気持ちが込められているんだろう。
お地蔵さまは江戸時代に爆発的な人気となって、たくさんの像が各地に作られた。手にする道具類をよくよく見てみると、以後、作られた当時のブームや思いなども反映されているのかもしれない。

時折、前世を覚えている、という子どものニュースが流れる。また、チベット仏教のダライ・ラマは──政治的背景からこれからはなくなってしまうのかもしれないが──生前に生まれ代わりを見分けるという。
もしかしたら、「人間道」から「人間道」に生まれ代われた人だけが、記憶が残るのかもしれない。だって、地獄とか、ゴキブリだった時の記憶なんか忘れてしまいたいし…。そう考えると…、ほとんど大半の人は…人間道には戻れてないということか──。お地蔵さまにはどこでお会いしても、よくよくお参りしておくようにしよう、次にどこに行かされても大丈夫なように。

コメント

タイトルとURLをコピーしました