千葉に伝わる「三つざきにされた龍神」伝説

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厄除け

冒頭の写真は、Googleマップから拝借した関東平野の東側、房総半島の付け根あたりの航空写真である。さすがに坂東太郎との異名を持つ、利根川の太さに改めて感動するが、ちょうど真ん中あたり、利根川に紐で繋がれたようにも見える、一頭の龍の姿が見えまいか。今はお腹のあたりがかすれているように見えるが、これが印旛沼である。ちょうどかすれたお腹のあたりに、順天堂(順天堂がこの地で開設された)があり、向かい合うように成田空港が位置している。

龍角寺境内の塔跡

龍角寺境内の塔跡

◯人間のために犠牲となった龍

ここ印旛沼には、龍伝説が存在する。細かなところに違いのあるバージョンはいくつかあるが、大筋は以下のような話だ。
印旛沼の龍神は度々人の姿となって、村人たちを交流していた。ある時、ひどい干ばつに見舞われ、雨乞いをするも全く雨は降らず、村人たちは大いに苦しんだ。その時、龍がやってきて皆に親切にしてもらった恩返しとして雨を降らせると言い、天に昇るや雨が降り始めた。その後、付近には三つに裂かれた龍の体が降ってきた。
頭は龍閣寺に、腹は延命院勝光寺、尾は匝瑳の大寺へ落ちたため、それぞれの寺は龍角寺龍腹寺龍尾寺と名を改め、龍の体を大事に葬ったという。

龍角寺の案内板

龍角寺の案内板

◯竜女がひと晩で作ったお寺

この話は、江戸時代中期頃には広く知られる話となっている。日本昔ばなしみたいな形で、今もふるさとの伝承話として伝わってきたが、3寺ともに古い歴史を持つ寺で、龍伝説がなくとも大いに信仰されてきたようだ。
龍角寺の創建は和銅2(709)年で、竜女がひと晩で諸堂を建立したと伝わる。東に高さ33メートルに及ぶ三重あるいは五重の塔があったらしい。本尊は重文指定の薬師如来像で(頭部は当時の白鳳仏だが、以下の部分はのちの時代の修復)、深大寺の国宝仏に似た趣を持つ。やはり、奈良時代に鋳造された銅製のためだろうか。
法起寺(聖徳太子由縁の寺。三重塔は国宝)式伽藍配置で構成されていることから、朝廷との関係の深い寺院だと推測される。今は名残を残すのみだが、龍角寺のある印旛郡栄町は、龍の町として知られ町のマスコットは龍(名はドラム)である。また、龍角寺付近には古墳が多数残り、中でも「龍角寺岩屋古墳」は日本最大の方墳のものだ。

龍腹寺・地蔵堂前の山門

龍腹寺・地蔵堂前の山門

◯乳のことなら何でも叶える仁王さま

龍腹寺の歴史も古い。創建は大同2(807)年で、延命院勝光寺あるいは龍福寺とも呼ばれていた。寺伝によれば、仁王門の左像は慈覚大師、右は丹慶の作で、一夜にして建立されたため乳がなく、無乳仁王尊と呼ばれる。乳に関する願いは速やかに成就するという。この仁王さま、何度も焼失していて、現在の像は江戸時代に作造されたもので、昭和中期に修復され現在にいたっている。この山門の正面には延命地蔵尊のお堂があり、ご本尊の薬師如来さまは? 龍腹寺?たるお堂は? 少し離れた場所に門があるがフラっと訪れることはできなくなっている。
龍は、なぜかこのお寺にたどり着けない少し離れた交差点・竜腹寺にかかる橋の両端にあるモニュメントに残るという不思議さは残る。

龍尾寺参道入口

龍尾寺参道入口

◯雨乞いのご利益バツグンの大寺

最後に龍尾寺。創建は斉明天皇7(661)年、官寺(国が経費を持った寺)の大寺として、和銅2(709)年に中興されたとある。また、大同2(807)年に空海(弘法大師)が訪れ、その時のお手堀の井戸が今も残る。
和銅2年、全国的な干ばつに見舞われた折、天皇から雨乞いの儀式を請われ、その際に龍が天へ昇ったという伝説がある。以後、雨乞いに絶大なご利益があると知られ、遠方よりの参拝者も訪れるようになり名を馳せたが、南北朝時代の火災で伽藍のほとんどを焼失した。
境内では、龍の彫り物を多く目にする。

龍尾寺の井戸

龍尾寺の井戸

◯西洋でドラゴンが意味するもの

地図を見てわかるように、龍尾寺だけ2寺よりかなり離れている。ちなみに龍角寺と龍腹寺は天台宗、龍尾寺は真言宗である。多くの研究者によれば、龍角寺・龍腹寺と龍尾寺のもともとの話は別だったのではないか──とも。
ところで、世界の各地に龍伝説はあるが──そういえばハリー・ポッターにもあった──東洋と西洋の龍の扱いはかなり違う。龍が蛇につながるせいで、キリスト教的観点から、邪悪なものとして捉えられているのだろう。
一方でアジアでは、龍は恐れられてはいても神として崇められたり、神さまのお使いとして神社やお寺の建物に多くその姿が刻まれている。むしろない方が珍しいくらいかもしれない。中国は国のモチーフにもしてるし。

龍角寺に祀られている小龍の頭部(ドラムの里HPより引用)

龍角寺に祀られている小龍の頭部(ドラムの里HPより引用)

◯神はいつでもいい人とは限らない

それでも、龍を怒らせれば水害のみならず、地震や雷、逆に干ばつさえも引き起こすたたり神にもなる。今では身近すぎて忘れそうになるが、本来は怖い神さまなのである。
上記の龍伝説は、奈良時代の話とされているが、長い間、語られていくうちにいろいろな伝説が合わさり変化して、3寺がつながってしまったのか。
今では、いずれも大寺ではないし、立派な伽藍があるわけでもないが、坂東太郎が暴れまわっていた時代、無くてもありすぎても困る水に対する恐怖は、現代に生きる私たちとは比べ物にならないものだっただろうし、水に対する教訓として残った話かもしれない。

龍腹寺の入れない本堂

龍腹寺の入れない本堂

◯小竜と大竜の姿が地図に見えた

ふと、地図を見ていて気がついた。印旛沼の姿が小竜だとすれば、坂東太郎の上に口を開けて横たわる緑色の姿は、大きな龍のように見える。この大龍のお腹のあたりの地名は「龍ケ崎」、龍の頭の上には霞ヶ浦、干拓で小さくなってしまった印旛沼はますますひとたまりもない。

境内には古い月待碑も

境内には古い月待碑も

そういえば、この大龍の開いたくちの真ん中にある大杉神社は天狗伝説で知られる神社だが、悪魔祓えで知られている。まっったくの余談であるが、境内社の「勝馬神社」も平安時代からあり、勝負ごとにご利益があるとして、特に競馬関係の祈願が多い。鐘太郎はここに祈願以来、競馬に運を発揮しているようで、近くのゴルフ場に行く度にお参りを重ね、勝率を上げているようだ。龍に呑み込まれないよう、鐘太郎、くれぐれもお礼はきちんとするように。相手は小竜を3つに裂いた大竜を制しているように見える神さまだぞ、たぶん。

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