寺社めぐりを続けているご利益かどうかは分からないが、このところ旧友たちと会える機会が劇的に増えている。年齢的なものだよ〜という友人たちもいるが、小中高大・初めて勤めた会社、お世話になった会社の方々…、なんだかもういつ死んでもいいくらいの勢いで、数十年ぶりの友たちと再会している。しかも一時的なものでもなく、なんとなく、「次は〜」みたいな感じの会い方なのだ。本当に人の「縁」とは不思議なものだ。何しろ私は長いこと仕事一辺倒で、友人と「遊ぶ」ということをしてこなかった“うつけもの”だったから。
東京大空襲のあと取り残されたお堂
ここでぶっちゃけ話をすると、仕事人間だったせいで、実は数年前、あやうく死にかけた。死にかけたあとも、すぐに戦線に戻り当時はそのことを疑問にも思わなかった。だから、その頃の私の寺社めぐりは仕事のひとつにすぎなかったのだと思う。お坊さまの話も、禰宜さんから聞く話も、「おもしろいな〜、記事にしないともったいないな〜」だった。もちろん、京都や小京都のお寺めぐりは好きだったし、かわいいお守り集めもかなりしていたんだけれど。
ある時、ふと立ち止まる機会があって、都内の神社や仏閣を一気にめぐることを思い立った。都内に仏さまの顔を拝める場所がこんなにたくさんあるとは正直思っていなかったので、かなりびっくりしたのを覚えている。そんな中で、偶然出会い、とても気に入った仏さまが、今日ご紹介する「本郷薬師」の薬師如来である。
場所は、東大のすぐそば。地下鉄本郷三丁目の駅からすぐのところにある。道路の真ん中にお堂がポツンと建っている感じがする。周りにお寺はないし、ほんとうにちょっと大きめの、地蔵堂のようだ。答えから言ってしまうと、この如来は、ここにあったお寺が、東京大空襲で焼け野原になってしまったため世田谷区に移転、のちに地元の熱意でお堂のひとつとして復活したものだ。
薬師さまのお告げ
江戸時代には藤堂家(初代・藤堂高虎は上野公園にある東照宮を作り、家康が最も頼りにした家臣のひとりである)の菩提寺だった「眞光寺」というお寺がこの地にあった。今も世田谷給田に移転しお寺は存在している。焼失を逃れたご本尊はこちらのお寺に鎮座している。
さて、この薬師さまには以下のような話が伝わっている。
江戸の町にマラリアが流行(日本では「おこり」と呼ばれていた)、ある日、お坊さまの夢枕に薬師如来がお立ちになって「ドブをさらい、草むらを払い、水はけをよくし、できる限り清水を使用するように」とお告げをしたそうな。マラリアの病原体は蚊によって運ばれるのだから、蚊を駆除するこれらの方法は効果のある対処法である。そして、難を克服した住民たちが薬師堂をお礼に建てた、と。
このお堂の人気はすさまじくて、王子権現(現・王子神社)と縁日の人気を二分するほどだったとか。樋口一葉や泉鏡花、二葉亭四迷などの文章の中にも登場するお堂でもある。ま、樋口一葉は日記の中で、都内にあるいくつもの寺社にお参りしたと記しているから、自宅近くにあった本郷薬師の名が出てくるのは当然かもしれないのだが。
東京の薬師如来と言えば
本郷薬師のご利益はもちろん病気治癒であるが、現代では特に夏場の食中毒、冬場のインフルエンザ予防にご利益が厚いと言われている。だが、私はこのお堂とともに「真光寺」が残していったもう一体の仏さまの方がより気に入ってしまった。この先の道を右手に折れたところに鎮座する「十一面観世音菩薩」である。1720年からここにある露仏である。詳細ははぶくが、処刑場だったこの場所に奉納された観音さまなのである。ここには如来さまや菩薩さまがいくつも祀られていたが、東京大空襲から逃れた、薬師さまと観音さまだけがこの地に残られたわけである。
ちなみに東京の薬師如来といえば、寛永寺の秘仏が一番に名前があがるだろう。徳川家康が参謀の天海に作らせた江戸の守護寺である。
「本郷薬師」は、その寛永寺と江戸城の真ん中に位置する。そして寛永寺と本郷薬師の間にあるのは東京大学である。
それから逆側の江戸城と「本郷薬師」の間には、江戸の人たちの命の要、神田上水の通り道「水道橋」があった。
今では、このあたり一帯はどこにも抜けることのできない袋小路になってしまっていることも、なかなか興味深い。すぐ側には、元々は江戸城内にあった天神「櫻木神社」も移転してきている。数々の天災・戦災を逃れた根津神社は東京大学の真北にある。この場所はそんなスポットなのである。
前々から「本郷」という場所は不思議なところだと思っていたが、調べてみたところ、本来は「本江」と書いていたそうだ。江戸の「江」であり、「本」である。この場所の真東には「東京スカイツリー」が立ち上がった。真南には東京タワー。真西には、東京の三大薬師如来を祀る「新井薬師」がある。真北には「西新井大師」。
もしかしたら江戸の真ん中は「本郷」なのかもしれない、この地を訪れるといつもそんな思いにとらわれるのである。
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