老舗の和菓子店と神社仏閣の関係

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和菓子の代表・ようかん

和菓子の代表・ようかん

世界がなんだか不穏に包まれている中、食糧備蓄にはようかんが優れものであると聞いて、大好きな佐賀県の銘菓・小木羊羹を備蓄しよう!と新たに決心した次第。ものによってはようかんは5年も保存できるものもあるらしく、常温で持ち運びも簡単でタンパク質や繊維質も含んだ栄養価の高い食品として魅力的なのだとか。羊羹の原型は中国の羊のスープにあるらしいのだが、日本への伝来後、精進料理に組み込まれたため、小豆や葛粉などを使用するものと変化したようだ。すでに室町時代初期には羊羹が存在しているが現在のように甘くなったのは江戸時代で、江戸後期には現在のものと変わらぬ形となったらしい。今では、日本の羊羹は台湾、韓国などにも伝播し、中国では独特のフルーツの入ったようかんもあるという。

もみじ饅頭

もみじ饅頭

お団子の原型はすでに縄文時代に!

和菓子の始まりは縄文時代まで遡れ、木の実を砕いてアクを抜き丸めたのがお団子の原型だという。茶の湯文化が発展するととに和菓子も進化し、時代とともに様々な素材や加工技術を取り入れて今に至っている。和菓子が存続できた理由のひとつに神社仏閣がある。大きな寺社のそばには、有名な和菓子の老舗が必ず存在するし、それらの寺社にちなんだ和菓子が作られていることも多い。
例えば、伊勢神宮の宮前にある「赤福餅」厳島神社の「もみじ饅頭」、太宰府天満宮の「梅ヶ枝餅」、浅草寺「雷おこし」亀戸天神では「くず餅」などなど上げればキリがない。

梅ヶ枝餅

梅ヶ枝餅

老舗の和菓子屋の近くには古刹のお寺の影が

加えて、古くから寺社での行事の際に和菓子が関係者などに振る舞われたり、逆に参拝者が寺社に奉納するため持ち寄ったりするので、寺社の近隣に和菓子屋は必要だったのである。私など、住宅街に突然立派な和菓子屋が現れたりすると、地図を取り出し付近に歴史ある寺社がないか探すほどである。
もちろん、東京に本社を持つ虎屋の始まりは京都にあり、後陽成天皇に和菓子を献上したことが大きな力となった和菓子屋もあるし、ういろうのように古い歴史を持ち日本全国で生産されたことで、固有の和菓子が知られることとなったものもある。

ういろう

ういろう

和菓子のお土産は参拝とセット

私自身、訪れた寺社前で必ず求める和菓子も数多くあって、これは歴史のあるなしに関わらず、すでに神社仏閣とお土産がセットとしてインプットされている結果である。たぶん、このような行動は今に始まったことではなく、平安時代や室町、鎌倉といった時代にも、旅する日本人たちは同様の行動をとっていたのだと思う。
これが今も続いているのだから、老舗の和菓子屋というのは大したものである。

一文字屋のあぶり餅

一文字屋のあぶり餅

歴史が1000年以上の店舗も

調べたところ、日本で一番古いと考えられている和菓子屋は「一文字屋和輔」で、京都・今宮神社の旧参道前に店を構え、「あぶり餅」を創業(1000年)からかわらず今も売っている。今宮神社は、疫病退散祈願の宮として平安時代に何度も御霊会が開かれた場所である。このため「あぶり餅」も疫病除けの餅とも言われている。
次いで1177年頃が創業ではないかと伝わる会津の「五郎兵衛飴総本舗」は、当代が38代目という老舗で、その名の通り五郎兵衛飴を昔と変わらず販売している。この飴の代金の借証文として弁慶直筆の書状が残っているとか。

藤戸まんぢゅうのホームページ

藤戸まんぢゅうのホームページ

上位20位はすべて江戸時代には存在

1184年創業の「藤戸饅頭本舗」は岡山県倉敷市にある和菓子店で、行基が創建したと伝わる藤戸寺の境内で饅頭を販売する店であったという。ここで販売される藤戸饅頭は、源平合戦に由縁があるという。
1327年創業の「紅蓮屋心月庵」で売られる松島こうれんという米菓は、尼僧が供物米で作ったものが始まりで、紅蓮とは尼僧の名である。
以下は1329年創業の堺市の「かん袋」、1333年創業の島根「黒田千年堂」、1349年創業の中央区「塩瀬総本家」と続く。20位くらいまでは江戸時代以前が創業で、いずれも寺社に深く関連がある。

長命寺桜もちホームページ

長命寺桜もちホームページ

江戸の老舗も300年以上の歴史が

とはいえ、十指に入るほどの歴史を持つ和菓子の老舗に、さすがに東京での創業社はない。虎屋も塩瀬総本家も京都や奈良にその原点を持っている。東京の和菓子屋の創業は古くても江戸時代がせいぜいだが、それでも徳川吉宗の時代に創業の「長命寺桜もち」「日本橋 長門」などはすでに300年以上の歴史を持っていて、今なお江戸時代と変わらぬ味を提供し続けている。

夏はやっぱりくずきり

夏はやっぱりくずきり

6月16日は嘉祥の日

さて、陰暦6月16日は和菓子の日である。これは848年、承和(じょうわ)から嘉祥(かじょう)に改元した折、仁明天皇が神託に従い6月16日に16になぞらえた菓子や餅などを供えたという故事にちなんで制定されたものらしい。のちに「嘉祥の日」として室町時代ころから菓子を献上するようになり、江戸時代になると将軍が大名や旗本たちに菓子を振る舞う儀式が行われるようになった。
6月というのは、古来、人間は体調を崩しやすく、また食あたりなども出やすい季節からなのか、疫病・厄除けに関する食文化が多いようである。

水無月

水無月

6月末は大祓が多くの寺社で行われるし、以前ご紹介した「水無月」という和菓子は厄除けのためのもの。そういえば「虎屋」では、本日限定で江戸時代に宮中に納めた嘉祥菓子をもとに作られた7ケ盛の「嘉祥菓子」が販売されるようだ。
寅年の令和4年の6月。なんだか虎屋の羊羹が無性に食べたくなった。

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