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厄除け

千葉に伝わる「三つざきにされた龍神」伝説

冒頭の写真は、Googleマップから拝借した関東平野の東側、房総半島の付け根あたりの航空写真である。さすがに坂東太郎との異名を持つ、利根川の太さに改めて感動するが、ちょうど真ん中あたり、利根川に紐で繋がれたようにも見える、一頭の龍の姿が見えまいか。今はお腹のあたりがかすれているように見えるが、これが印旛沼である。
訪問記

東京都にある鍾乳洞でマジにビビる

というわけで、一念発起してあきる野市にでかけた。 あきる野市で行きたい寺社にチェックを入れたら35社にもなってしまってこんなに訪問できるはずがない。なので今回は都道201号沿いの寺社の探索に絞ることにした。ちなみに201号は「十里木」(富士山の裾野とは別である)から青梅市の「滝本」まで続く道である。だたし途中からは一般車不可の道となる。なので一般車が入れる最北の神社養沢神社から参拝を始めたのだが、途中途中で気になる看板が目に入る。
勝運

第180回「三峯神社」

私が「三峯」の名前を知ったのは、実は浅草寺の境内である。東京出身ではない私だが、実は浅草寺にはかなり足しげく通っている。理由はよくわからないのだが、たまに東京に出てくる母のお供をしているうち、なんとなく、足が遠のくと、ツキが落ちたような気がするようになってきた。これだから、寺社巡りを始めるとやめられなくなるのだ。そこで、ものすごく真剣に「三峰神社」を拝んでいる女性を何人も見た。ハンパない金額のお賽銭を上げているのを見て、「三峰神社なにものぞ」と思うようになっていった。
金運

中華街にある異国のお寺

実はこの暑い最中、横浜の中華街に行ってみました。一緒に行った友人は「ずいぶん変わった〜」と言っていました。私はあまりに久しぶりだったので、昔の記憶がほぼなく比較できるベースがないのでなんとも言えませんが、ただ鎌倉のように「食べ歩き」のお店が激増している感じと、そのせいか若い人がとても多かったですね。また、世界情勢のせいか、「台湾人のお店」であることを強くアピールしている店舗が多かったようにも思います。
風水

徳川家康が築いた江戸城のパワー

信長が暗殺された後、秀吉が天下人となったが、結局家康が関東に都を移すまで日本には泰平は訪れなかった。歴史的に見れば織田信長の暗殺によって、政治の中心は関東に移ってしまったのである。徳川家康の領地を江戸に移したのは秀吉、江戸城を居城にと提言したのも秀吉。ここから鎌倉時代以降に取り戻した関西(正確には中部か?)への権力移行は、再び関東へ行ってしまい、以降現在に至るまで政治・経済の中心は江戸(東京)にありつづけることとなる。
祟り

家康にとっての9月15日とは

慶長5(1600)年9月15日(旧暦)と言えばなんといっても「関ヶ原の戦い」であろう。たしか中学校の試験にも出てくるような日付だった気がする。これだけでも徳川家康にとっては記憶に残る日だろうが、9月15日はもうひとつ家康にとっての忘れられぬ日なのだ。
お祭・催事

鈴子にとっての不忍池辯天堂

9月29日は、寛永寺不忍池辯天堂の巳成金でした。昨年は午後からの参拝だったので人出も多く落ち着かない気もしたので、今年は張り切って早朝から出かけてきました。朝6時すぎたころにお堂へ到着したのですがすでに行列が! 年に一度、ご本尊がご開帳されているお堂への昇殿の列です。…どうしようかなぁ、と悩みましたが今日は正面からのお参りだけで帰ることにしました。9年前は昼間に来ても昇殿も難しくなかったんだけど…と思いながら。
厄除け

「祟り」は怖くないの? メディアの人たち

昨今のマスメディアを見ていて思うのは「死の穢れ」というものに対する無頓着さである。言い換えれば、昔の人は非業の死──つまり天寿を全うした死以外のすべて──を遂げた人たちの恨みを恐れた。ましてや、有名どころで言えば菅原道真、崇徳天皇、早良親王(崇道天皇)、平将門など讒言・策略などによって貶められ、自死あるいは憤死した人たちの怨霊を激しく恐れた。
商売繁盛

日本人の美徳は二宮金次郎さんに集約されて

勝海舟が「あんな時勢には、あんな人物が沢山出来るものだ。時勢が人を作る例はおれはたしかにみたよ」と言った人物がいる。あんな時代とは幕末で、日本中が飢饉に見舞われて、物価の急上昇と混乱の中財政を立て直し、市井の人たちの生活を助けた人物がいた。それが金次郎さんこと二宮尊徳、昔の(小)学校にはほとんど銅像が建てられていたが、今はどうだろう。
お祭・催事

日蓮が残した全国の美しいお寺たち

10月13日は日蓮の命日である。日蓮は、鎌倉時代の高僧で日蓮宗の祖であり、なかなか波乱に富んだ人生を送り60歳で没した。(今の我々から)考えてみれば、短い人生であるが、幾度も生命の危機があり、むしろ病死とはいえ、よくぞ寿命をまっとうできたものだという怖いもの知らずの生きざまだった人物である。
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