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お祭・催事

春はやっぱり桜見にでかけよう!

桜の花に関する記事を書こうと毎年思ってはいても、気がつくと開花していて、毎年、時すでに遅し!状態だったのですが、今年は東京以外はなんとなく例年より遅めの開花で、その上東京も開花から満開までがずいぶんと時間がかかる模様。今年を逃す手はないぞ!ということで、「鈴子的花見情報2017」でもご紹介したいと思います。
お祭・催事

桃の神さまは貴重な神さま

3月3日は「ひなまつり」と呼ばれる女の子の日である。5月5日の端午の節句は、すでに男女平等との声から「こどもの日」と呼びかえられ、女の子もそこそこ楽しんだりしているが、ひなまつりは今でもかぎりなく女の子のお祭りであるようだ。
厄除け

江戸時代大人気を誇った本郷の薬師さま

場所は、東大のすぐそば。地下鉄本郷三丁目の駅からすぐのところにある。道路の真ん中にお堂がポツンと建っている感じがする。周りにお寺はないし、ほんとうにちょっと大きめの、地蔵堂のようだ。答えから言ってしまうと、この如来は、ここにあったお寺が、東京大空襲で焼け野原になってしまったため世田谷区に移転、のちに地元の熱意でお堂のひとつとして復活したものだ。
お祭・催事

「一陽来復」の意味を考えてみる

昨日(21日)は冬至だった。北半球では1年で一番お日様が顔を出す時間が短かい日のことである。古代の暦では、この冬至を一年の始まりとしていた時代もあるそうだ。現代の暦では、ほとんどが年の瀬の区切り仕事で大わらわになっている時期なのだが、実は冬至は運を開くには大事な日なのである。
厄除け

千葉に伝わる「三つざきにされた龍神」伝説

冒頭の写真は、Googleマップから拝借した関東平野の東側、房総半島の付け根あたりの航空写真である。さすがに坂東太郎との異名を持つ、利根川の太さに改めて感動するが、ちょうど真ん中あたり、利根川に紐で繋がれたようにも見える、一頭の龍の姿が見えまいか。今はお腹のあたりがかすれているように見えるが、これが印旛沼である。
訪問記

東京都にある鍾乳洞でマジにビビる

というわけで、一念発起してあきる野市にでかけた。あきる野市で行きたい寺社にチェックを入れたら35社にもなってしまってこんなに訪問できるはずがない。なので今回は都道201号沿いの寺社の探索に絞ることにした。ちなみに201号は「十里木」(富士山の裾野とは別である)から青梅市の「滝本」まで続く道である。だたし途中からは一般車不可の道となる。なので一般車が入れる最北の神社養沢神社から参拝を始めたのだが、途中途中で気になる看板が目に入る。
金運

中華街にある異国のお寺

実はこの暑い最中、横浜の中華街に行ってみました。一緒に行った友人は「ずいぶん変わった〜」と言っていました。私はあまりに久しぶりだったので、昔の記憶がほぼなく比較できるベースがないのでなんとも言えませんが、ただ鎌倉のように「食べ歩き」のお店が激増している感じと、そのせいか若い人がとても多かったですね。また、世界情勢のせいか、「台湾人のお店」であることを強くアピールしている店舗が多かったようにも思います。
風水

徳川家康が築いた江戸城のパワー

信長が暗殺された後、秀吉が天下人となったが、結局家康が関東に都を移すまで日本には泰平は訪れなかった。歴史的に見れば織田信長の暗殺によって、政治の中心は関東に移ってしまったのである。徳川家康の領地を江戸に移したのは秀吉、江戸城を居城にと提言したのも秀吉。ここから鎌倉時代以降に取り戻した関西(正確には中部か?)への権力移行は、再び関東へ行ってしまい、以降現在に至るまで政治・経済の中心は江戸(東京)にありつづけることとなる。
祟り

家康にとっての9月15日とは

慶長5(1600)年9月15日(旧暦)と言えばなんといっても「関ヶ原の戦い」であろう。たしか中学校の試験にも出てくるような日付だった気がする。これだけでも徳川家康にとっては記憶に残る日だろうが、9月15日はもうひとつ家康にとっての忘れられぬ日なのだ。
お祭・催事

鈴子にとっての不忍池辯天堂

9月29日は、寛永寺不忍池辯天堂の巳成金でした。昨年は午後からの参拝だったので人出も多く落ち着かない気もしたので、今年は張り切って早朝から出かけてきました。朝6時すぎたころにお堂へ到着したのですがすでに行列が! 年に一度、ご本尊がご開帳されているお堂への昇殿の列です。…どうしようかなぁ、と悩みましたが今日は正面からのお参りだけで帰ることにしました。9年前は昼間に来ても昇殿も難しくなかったんだけど…と思いながら。
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