11月3日は「文化の日」であるが、明治天皇のお誕生日ということで明治時代は天長節、日本国憲法発布までは明治節と呼ばれた。この「文化の日」の命名についてもいろいろ国家主権の侵害があったと思われるが、その話はさておき今回は、この明治天皇のお誕生日にちなんで東京遷都の話から始めてみたい。
天皇の東京行幸を進言したのは
1000年以上天皇が住まわれた畿内を離れ、政治の中枢が江戸(東京)になぜ移ったのか。確かに徳川幕府は江戸に政治の中心を築き、260年余にわたって国内政治を司ってはいたが、朝廷はずっと京都にあった。橿原に皇居があった390年以来、奈良と京都(途中大阪や滋賀にもちょっと遷都したが)に居続けた天皇が、なぜ大政奉還からわずか1年未満で東京へと向かったのか。天皇の東京行幸については司馬遼太郎はじめ、いろんな人たちが様々な考察を述べているが、政治の機能を江戸に置くべき、と意見したのは前島密だった。この建言に大久保利通が動かされ東京へ明治天皇が行幸することとなったのである。
郵便だけでなく各分野で尽力した前島密
当初、大久保は首都を大阪にする考えを持っていたという。前島はこれを聞き、幕府の金、施設、港、設備、政治を動かす人などすべてが江戸に揃っているのに放棄すれば、江戸は廃墟と化してしまう──と考えての提案だったらしい。
前島密とは、「日本近代郵便の父」と呼ばれ今も1円切手の肖像となっている人物だ。越後の豪農の家に生まれ、医学、蘭学、英語、航海術などを学び、幕臣・前島家の養子となり家督を継ぐ。幕臣でありながら新政府の下で新しいシステム作りに尽力し、郵便事業だけでなく、鉄道敷設、新聞事業、電話開始などの全く未知の分野に取り組み、草案から実行までを遂行した。前島の言葉に「縁の下の力持ちになることを厭うな、人のためによかれと願う心を常に持て」というものがある。私利私欲を排した人生を全うし、横須賀で没した。
重文の運慶仏像が5体揃って
貴族院議員を辞任したのち、前島は横須賀の浄楽寺の境内に別邸を建て隠居した。お墓もこのお寺にある。
実は、私がこのお寺を参拝した理由は前島翁とはまったく関係ない。寺宝の仏像を拝顔するために電車とバスを乗り継いで、品川駅から1時間30分もかかる横須賀まで出かけたのだ。先週ご紹介した燈籠坂大師の方が、直線距離ならば品川駅よりもはるかに近い(車移動でなければ東京経由になるけど)。
そうまでして拝顔したかったのは、重要文化財の運慶仏の5体である。
今でも日本でナンバーワン仏師・運慶
運慶の真作と考えられているのは、現在のところ18体しかない。たぶん運慶作だろう…を入れても50体ほどで、いずれも国宝・重文級の仏像であり、運慶前と運慶後では仏像の姿がまったく違うと言われているほどの仏師なのだ。それが5体も、阿弥陀三尊と毘沙門天、不動明王のご開帳とあれば、行かずにはいられない。もちろん、以前にトーハクでお目にはかかっていたが、これらの仏さまがいったいどんなお寺に鎮座しているのかを見てみたいという気持ちもあったわけで。
鎌倉殿の13人の和田義盛と運慶
浄楽寺の創建については、明確なことは不明であるが、今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のうちの一人である和田義盛が建立に関わっていることは間違いないようだ。
運慶は、鎌倉幕府の権力者たちとの関わりが深かったとされ、実際、浄楽寺の毘沙門天像と不動明王像の体内から発見された木札から、仏像の発願者が和田義盛とその妻であることが昭和34年になって確認されている。また、和田義盛には運慶に彫像を依頼し、「七阿弥陀堂」を建立したという逸話も残っていて、その1堂ではないかという説もある。
北条に書き換えられる和田氏の歴史
寺伝によれば、源頼朝が父・義朝の菩提を弔うために建立した勝長寿院が、台風により破壊され、これを鎌倉から現地に移したとのこと。
というのも、1275年に鎌倉の光明寺の住職が浄楽寺に移住したところからしか、はっきりした記録がない。光明寺によれば、ここが開山となっているのだ。ただし、それでは運慶作の仏像がこれほど寺に残っていることに疑問が残る(運慶は1224年没)。
やはり、和田義盛が運慶に依頼して、三浦半島にいくつもの堂宇を建立したというのが正しい気がする(ちなみに和田氏とは三浦氏の一族)。何しろ和田義盛は、結局、執権北条に一族もろとも滅亡させられているし、功績・足跡はたぶん、消されていく方向であったろう。北条氏による歴史書・吾妻鏡で和田氏は悪逆人に描かれているのが何よりの証左である。
ということで、浄楽寺は「鎌倉殿の13人」にも深く関係のあるお寺なのである。
ご開帳は年に2回だが、1週間以上前に予約すればひとりでも拝顔することができる(ただし2022/12/1までは「運慶展」のため2体は出張中)。加えて、バーチャルリアリティの各種体験もできるし、写経や仏像彩色体験といった実際の体験もできるお寺なのだ。
さすが、近代化へ爆進した前島密が晩年を過ごしたお寺だけのことはある。
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