鈴子、ジレンマに陥る
昔は、ひとつの集落に神社とお寺が並立していて、必ず守り神がいたため、村が大きくなったり、開拓された土地へ住民が移ったりした場合、神さまたちも一緒に家移りしていた。そのため、多くの神社が2つになったり、名前を少しだけ変えて勧請されたりしている。神社めぐりをしていると、とても近い場所に同じ名前の神社が並んでいるところをよく見る。たいていはどちらかが本家でどちらかが分家なのだろうが、長い時代を経て、現代になるとそんなことはどうでもよくなってくるのだろう。どっちが本家だろうと、もういいじゃん!みたいな感じだろうか。古くから開けていた土地はこの傾向が多い。天祖神社、神明社、諏訪神社、須賀神社、熊野神社、氷川神社、白山神社などなど同じ名前の神社が並んでいる例を挙げればきりがない。
2つに分かれた天祖神社
今回紹介する品川の天祖神社は、まさに2つに分かれた神社の代表格である。片方を「上神明」、もう一方を「下神明」と呼んでいる「天祖神社」だ。
全国の天祖神社、そして神明神社の祭神は天照大神(伊勢神宮の主祭神)。日本人の総氏神と呼ばれ、天皇陛下の祖先と言われている。
現在の上神明と下神明の距離は約1300メートル。歩いても17〜8分で行き着ける。ただし交通機関で言えば、下神明はその名にちなんだ駅・東急大井町線の下神明駅、上神明は都営線・中延駅が最も近いことになるのだが。
何が言いたいのかと言えば、近すぎるのである。いくら移動方法がほとんど歩きしかなかった時代だったとしても。
目黒川が作った湿地帯に
現在「二葉」と呼ばれていた場所は、古くは「蛇窪」、近代に入ってからは「神明町」と呼ばれていた場所である。
蛇窪と呼ばれた所以は、その名の通りこの場所が湿地帯であり、蛇が多く住む地域だったからだという。
今でこそ、春になると川岸では花見客でごった返し、ちょっと幅の広い用水路のような穏やかな目黒川だが、はるか昔は右に左に流れを帰るやっかいな川だったようだ。というのも、品川区は武蔵野台地の南端に位置し、関東大震災以前には大きな崖が北側にそびえ立っていたらしい。つまり、この崖から先の土地は目黒川の流れが変わり、広い湿地帯を形成していたのだ。そういえば、現在の目黒駅あたりは、錦絵などでみると山のように見上げるほど高い場所として描かれている。これも目黒川が谷を作っていたためである。
社歴は同じはずだけど?
両天祖神社の由緒書きによれば、鎌倉時代、大森に厳正寺を開いた北条氏ゆかりの僧に従った家臣が、蛇窪に住み着き、開いた神社が当社だとしている。ちなみに下神明天祖神社の社歴は、2社が分かれた時からしかないらしい。共に江戸時代初期に、蛇窪が上蛇窪村と下蛇窪村に分かれた折、天祖神社も2社に分社したのではないか、とどちらも社歴として掲げている。そして1983年に鎮座340年の大祭を両社で執り行い、以後10年ごとに式年大祭が行われるようになった。と、ここまでは2社の由緒書きをあちこちつなぎ合わせながら読み解いた話である。2社が同じことを書いているわけではない。やっぱり仲が悪いのである、たぶん。
龍神の勧請がアマテラス?
主祭神のアマテラスに加え、祭神は応神天皇と天児屋根命なのは、分社した時代に流行していた三社託宣(神道・儒教・仏教の三教融合思想を説いたもので、伊勢・八幡・春日の神さまを三尊形式に描いたお札のようなものが流行った)によるもの、と下神明の由緒書きにある。あまりにつまらない神さま選びである。
ちなみに上神明の由緒書きには、雨乞いを叶えてくれた龍神に感激して、神さまを勧請してお社を建立した、とある。はて? 伊勢・八幡・春日の神さまに龍神の関わりはない。三社託宣のご利益は、「正直」「清浄」「慈悲」とされている。日照りに慈悲の心で雨を降らせてくれる、という意味もとれなくはないけれども、神さまのつながりがちょっと見えない由緒書きである。
太陽神のアマテラスが必要だったわけ
ちょっと調べてみたところ、上神明による創建に関係ある厳正寺には獅子舞(水止舞)という無形文化財が伝わっている。旱魃に雨を祈って降らせたが、50余日にも及ぶ長雨となり、今度は雨を止める祈祷をした際に舞った獅子舞がそれらしい。湿地帯に長雨はたまるまい。アマテラスは太陽神である。龍神に感激したのではなく、止雨に感動して太陽神を勧請して祀ったのなら、よく理解できる話である。
ちゃんとつながるじゃないか。
距離も近いし、時代も時代だし2社で仲良く、一緒の神社になって社歴も整理してはどうだろう。10年に一度大祭もやっていることだし。
白蛇さまを祀る上神明のパワー
上天祖神社は、荏原七福神の弁天さまを祀っていて、参拝者も多いようだ。加えて最近はやりのアニメキャラも導入されているので、若い男の子などとも境内で遭遇した。グッズも充実していてなかなか商売上手に見える。
逆に下神明は、古社特有の趣がある。飾り気のない、悪く言えばあまり特徴のないきれいな境内である。だが、鈴子的にどちらが好きかと言えば、まちがいなく不器用で誠実な感じのする下神明である。リラックマの絵馬の無理してる感がちょっと寂しいくらいだ。正直・清浄・慈悲をどちらの神社から感じるかと言えば下神明なのだが、すでに上神明は本殿の神さまより白蛇さまのご利益に集まってくる参拝者の方が多いようで、弁天さまのパワーは強烈だ。
今では、湿地帯のイメージすらない場所の旧蛇窪に並立する2つの天祖神社。ジレンマを感じさせられたお宮である。どちらが本家で分家でもかまわないが、どちらかだけが残る形になるのはとてもせつない。三柱のいる天祖神社がこれから先も続いて欲しいと願うのは、私のワガママなのだろうか。
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