新しい光を見つけよう!
昨日(21日)は冬至だった。北半球では1年で一番お日様が顔を出す時間が短かい日のことである。古代の暦では、この冬至を一年の始まりとしていた時代もあるそうだ。現代の暦では、ほとんどが年の瀬の区切り仕事で大わらわになっている時期なのだが、実は冬至は運を開くには大事な日なのである。
世界中が1年の基準とした冬至
冬至を大事にする文化は古来の日本やアジアだけでなく、ヨーロッパや中南米の古い文明にも残されている。ナオト・インティライミという日本人の人気アーティストがいるが、この「インティ」はケチュア語(インカの言葉)でインカの太陽神の名前らしい。アルゼンチンの国旗の真ん中に描かれている顔のある太陽がその神で、「インティ・ライミ」は直訳すれば「太陽神の祭」の意味なのだが、冬至が元旦だったインカで行われていた冬至の儀式をさすようだ(ただしインカは南半球なので冬至は6月)。また、クリスマスも元々はゲルマン民族による冬至のお祭りが、キリスト教と結びついた結果、25日(最初にクリスマスとして祝った年の冬至が25日だったという説が有力らしい)に行われる風習として定着したのだという。
さてこの冬至、日本などでは「一陽来復」と言う。
悪いことが続くのも悪くない
これは「陰が極まって陽が生ずること」を指す〝易〟から派生した言葉なのだが、「冬が去り春(新年)がくる」に転じ、これが「悪いことが続いてもやがてよいことがやってくる」意味へと続いている。別の言葉で言えば「明けない夜はない」なのかな?
日本では、もう「ゆず湯に入る日」くらいのイメージしかなくなっている感があるが、実は「これからはいいことばかりになるぞー!」という大事な転機の日なのである。この意味を込めたお守りを授与する有名な神社が東京にはある。それが早稲田にある「穴八幡宮」だ。
穴八幡宮の「一陽来復守り」
実は以前まったく的外れな季節に、このブログでも穴八幡宮をご紹介したことがある。反省の意味をこめて、もう一回ご紹介しようかと思う。
穴八幡宮で授与される「一陽来復」のお守りは、金運の守りとして江戸時代からブームの続いている貴重なものだ。何しろこの「一陽来復守」は、冬至の日から節分までしか頒布されていないのだ。つまり「冬至から立春まで」の真冬の間のみに配られる守りである。このため、一番の陰である冬至の朝にお守りを求める人が多く、この日が一番混雑している。裏返せば、この期間内の平日昼間に参拝し、求めるのが一番楽に授かることができる方法とも言える。
ちなみに、この「一陽来復守り」は、飾る日と飾る方向が決められている几帳面なお守りである。授与される時に一緒に方法を記した紙も同封されている。
放生寺の「一陽来福守」
江戸時代、穴八幡宮は現在も隣接する放生寺が別当寺(管理するお寺)だったのだが、明治時代の神仏分離令に伴い、お寺と神社が分離させられた。そのため、穴八幡宮は江戸時代と同様「一陽来復守」を頒布しているのだが、別当であった放生寺でも「一陽来復福守」(こちらは「復」ではなく「福」)を頒布している。穴八幡宮としてはいろいろ不満もあるだろうが(それらしき文章も配布されている)、元々は同じ寺社であったわけで、不満をぶつけるならば明治政府に対してなのかもしれない。
いろんな場所での「一陽来復(福)守」
ところでこの「一陽来復(福)守」、最近ではいろいろな神社で見かけるようになった。ちなみに、私は昨年、穴八幡宮でも放生寺でも、お守りを受けてきたが、ほかにも築地の波除稲荷神社と四谷の須賀神社の2つでもためしに求めてみた。こうなるともうすでにお守りフェチに近くて、こんな輩にご利益があるとも思えないし、たとえあってもどの神さまのおかげかもわからない。まぁ、お礼方々、ごあいさつ方々、といったところか。
「金運」の「一陽来復」
考えてみたら「一陽来復」という言葉自体、四文字熟語なのだから、なかなか独占を宣言するのは難しい。一方で、本来の言葉の持つ意味から言えば、「金運」というより「昇運」を意味するわけだから、「金運」としての「一陽来復守り」は穴八幡宮の専売ともいえるのかもしれない。
実際、穴八幡宮で1つだけお守りを求める人は珍しい。多くが、友人・知人・東京から遠くの人のために、代わりに求めている。お守りを買いに行って、「おいくつですか?」と尋ねられたのは初めてである。それほど、商売をする人などにとっては欠かせないお守りなのかもしれない。
「一陽来復」を英語で言えば、意訳ではあるが「Spring has come.」。新しい年はすぐそこだが、春はまだまだ先である。けれども、「すでに一歩一歩明るい日に近づいているよ、見えないけどね」という響きは、現代人が忘れがちになっている、ゆっくりとした変化も大事ということなのかもしれない。私もまた来年1歩すすめるといいなぁと願いながら、大晦日前には穴八幡宮を訪ねようかと思っている。
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