徳川家康

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風水

徳川家康が築いた江戸城のパワー

信長が暗殺された後、秀吉が天下人となったが、結局家康が関東に都を移すまで日本には泰平は訪れなかった。歴史的に見れば織田信長の暗殺によって、政治の中心は関東に移ってしまったのである。徳川家康の領地を江戸に移したのは秀吉、江戸城を居城にと提言したのも秀吉。ここから鎌倉時代以降に取り戻した関西(正確には中部か?)への権力移行は、再び関東へ行ってしまい、以降現在に至るまで政治・経済の中心は江戸(東京)にありつづけることとなる。
祟り

家康にとっての9月15日とは

慶長5(1600)年9月15日(旧暦)と言えばなんといっても「関ヶ原の戦い」であろう。たしか中学校の試験にも出てくるような日付だった気がする。これだけでも徳川家康にとっては記憶に残る日だろうが、9月15日はもうひとつ家康にとっての忘れられぬ日なのだ。
勝運

増上寺、11年ぶり公開の山門からの景色は江戸時代そのまま

徳川の菩提寺は浄土宗のいくつかのお寺です。代表的なものとしては、家康が三河を本拠にしていた頃は大樹寺を、江戸入りしてからは増上寺も菩提寺に加わりました。その後、政治的な流れの中で、天台宗の寛永寺も徳川家の菩提寺となり、江戸城の鬼門側を寛永寺が、裏鬼門側を増上寺が守護することとなるのです。そして家康(久能山と日光の東照宮)・家光(輪王寺)・慶喜(谷中霊園)の3人以外、歴代の将軍のお墓が増上寺か寛永寺に作られました。
女性のためのご利益

美しく生まれ変わった宝珠院を今さらご紹介…と

実は先日、増上寺を訪れた際、驚きの発見をした。この日、次の約束があったので、浜松町側ではなく、神谷町駅から電車に乗ろうと東照宮を参ったのちに裏側に出たのだが、そこには、かつてのお堂ではなく美しく建て替わった宝珠院があったのだ。それを見て、自分でもびっくりするくらい、それを知らなかったことにショックを受けた。
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