東京スカイツリーのお膝元にある神社仏閣が意味するところ

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天祖神社からスカイツリーを望む 厄除け
天祖神社からスカイツリーを望む
歌川国芳の「東都三ツ股の図」(Wikipediaより)

歌川国芳の「東都三ツ股の図」(Wikipediaより)

江戸時代にスカイツリーは予言されていた?

新しく東京にできた「東京スカイツリー」は、いまひとつ人気がないように思います。東京タワーに比べて、姿形に特徴がないせいかもしれません。それでも、遠くから見る夜景は美しく、高層ビルにあるレストランなどからの光景は見事というしかありません。
開業にあたっては、東京スカイツリーのお膝元である「牛嶋神社」の神職が氏神として神事を奉仕しました。開業時、東京スカイツリーに関して不思議な浮世絵が披露されました。江戸時代末期に活躍した絵師・歌川国芳の「東都三ツ股の図」というものですが、現在の箱崎あたりの中州で作業をする漁師が描かれ、背景に「スカイツリーにそっくりな塔が描かれている!」と話題となりました。テレビなどでもずいぶん取り上げられていたのでご覧になった方も多いかもしれません。
井戸掘り用の櫓か相撲櫓ではないかという説が有力のようですが、他の絵とも合わせて国芳は予言者だ、とずいぶん盛り上がりました。

「牛嶋神社」拝殿

「牛嶋神社」拝殿

スカイツリーに一番近い神社は

スカイツリーの立つ「押上」という名は、現在、各線の中継地点としてよく知られていますが、「おしあげ」という地名の由来ははっきりしていません。川によって堆積した土砂が少しずつ押し上げられて陸となった場所だから──とも一部では言われていますが、スカイツリーに一番近い神社「押上天祖神社」には創建についてこんな言い伝えも残っています。
「京成橋(現在の四つ目通りに掛かる橋)付近で川が増水した折、堤防に押し上げられてあった御神体を祭ったことに始まる」と。そうだとすれば、「押上」の地名の由来は押上天祖神社ということになりますね。
実際、押上天祖神社は江戸時代には「押上」の鎮守として記録されていて、付近一帯の守り神であったことがわかります。現在は「牛嶋神社」の末社となっていますが、延元年間(1336年頃)からこの地に鎮座していたと考えられている古社であり、境内からスカイツリーを望めば、まさに真上を見上げるほどの迫力があります。

春慶寺

春慶寺

スカイツリーに一番近いお寺は

一方、スカイツリーに一番近いお寺は、春慶寺です。一部の人たちの間では知る人ぞ知るお寺と言ってよいでしょう。
もちろん、都内では数少ない普賢菩薩を祀るお寺であり、江戸時代の大戯作者・鶴屋南北のお墓もあるので、江戸時代から有名なお寺ではありましたが、現在の日本では、何より「鬼平犯科帳」の登場人物である岸井左馬之助(長谷川平蔵の盟友)の寄宿地として、鬼平ファンには欠かせない場所となっているのです。
お寺の入り口に立つ「岸井左馬之助寄宿之寺」という碑は、テレビ番組で左馬之助を演じた江守徹さんの筆によるものです。

春慶寺の普賢菩薩を祀るお堂(お寺のビル内ではなく2軒となりのビルに)

春慶寺の普賢菩薩を祀るお堂(お寺のビル内ではなく2軒となりのビルに)

スカイツリーを囲むように鎮座するめずらし所

さて、スカイツリー開業の神事を執り行った「牛嶋神社」は、現在隅田川近くに鎮座していますが、江戸時代まではもう少し北側に位置し「牛ノ御前」と呼ばれていました。創建が貞観2(860)年と言いますから、平安時代の初期から鎮座していたことになります。境内には心の病を治癒するご利益もあるとして知られる「撫で牛」がいます。
また、「牛嶋神社」の少し北側には、引退した三越のライオンや珍しい三ツ鳥居が見られる「三囲(みめぐり)神社」、そしてスカイツリーの北側にはアニメの聖地として知られる「高木神社」があり、押上一帯は、東京ソラマチだけを見学して帰るにはもったいない場所なのです。

原型は京都の「蚕の社」のもの

原型は京都の「蚕の社」のもの

東京スカイツリーの高さ634メートルは世界一高いタワーとしてギネスに認定されている(人工建造物としてはブルジュ・ハリファに次いで2位)スカイツリー、2月29日が誕生日とするならば、まだ2歳になったばかりである。1歳の時には日本にはほとんど影響がなかったが「ジカ熱」騒ぎで世界が混乱に陥り、2歳の今新型コロナウイルス騒ぎで日本はてんやわんやである。これほど面倒なうるう年のジンクスにスカイツリーが影響されないのは、ご利益の厚い神社仏閣に囲まれて立っている立地のおかげだと、私は密かに思っている。

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