令和4年も残すところあとひと月余り。今年は五黄の虎らしく、世界中が大混乱となり、歴史の転換点として様々な話が語り継がれていくことでしょう。メディアのあり様もたぶん、大きな転換点だったのではないかと思います。今や若い人は新聞どころか、テレビもほぼ見ないですもんね。
来年の大河ドラマの主人公は家康
そんな中、来年のNHK大河ドラマは、江戸幕府を開いた徳川家康の物語を描く「どうする家康」です。これほど日本の歴史に大きな足跡を残した人物でありながら、大河ドラマに取り上げられるのは、62作のうちたったの2回。もちろん徳川三代としてのドラマや、織田信長や豊臣秀吉ほか戦国武将が題材のドラマには必然的に登場してきましたが、単独での主人公役は2回目とはやっぱり人気、ないのでしょうか。私はかなり好きな武将なんですが。
徳川の菩提寺で裏鬼門守護
家康を好きな理由は、(歴史的な記録としては)神社仏閣を大事にしてきた武将だからという面もあります。信長や秀吉のように大寺を攻めたり焼き討ちしたという話も(ほぼ)ありませんし、武田信玄や上杉謙信のような陣取り合戦として寺社を扱うこともありませんでした。本当のところはいろいろあったに違いないですけれども。
そんな徳川の菩提寺は浄土宗のいくつかのお寺です。代表的なものとしては、家康が三河を本拠にしていた頃は大樹寺を、江戸入りしてからは増上寺も菩提寺に加わりました。その後、政治的な流れの中で、天台宗の寛永寺も徳川家の菩提寺となり、江戸城の鬼門側を寛永寺が、裏鬼門側を増上寺が守護することとなるのです。そして家康(久能山と日光の東照宮)・家光(輪王寺)・慶喜(谷中霊園)の3人以外、歴代の将軍のお墓が増上寺か寛永寺に作られました。
空襲でほぼすべての伽藍を焼失
さて徳川家の菩提寺であった増上寺と寛永寺は、江戸時代の終焉とともに大変な苦難の道を歩みました。唯一の檀家ともいえる徳川家を失ったわけですから、掛かりを賄えるだけの収入がまったく途絶えてしまったのです。それでも寛永寺は、戊辰戦争(上野戦争)の戦火で伽藍を失った不幸もありましたが、規模を縮小せざるを得ない中で広い境内を国に買い取ってもらい、復興の階段を少しずつ登ることができました。
一方の増上寺は、徳川の広大な霊廟の維持や広い境内を整備する必要、また多くの僧侶を抱えていたこともあり、明治維新ととも訪れた大変化に大変な苦境を味わいました。その上、第二次世界大戦中の東京大空襲で徳川の霊廟を含め、ほとんどの伽藍を焼失してしまったのです。
芝公園もホテルも全部元は境内
その後、境内の一部を譲渡することでお堂などを少しずつ再建していきます。大殿が完成したのは1974(昭和49)年、開山堂は1989(平成元)年、安国殿に至っては2010(平成22)年まで再建を待たねばなりませんでした。
現在、芝公園となっているあちらこちらに残されている小さな石仏が、以前はそこが増上寺の境内だったことを物語っています。また、旧台徳院霊廟惣門(徳川秀忠霊廟門)や御成門の位置を見れば、当時の増上寺がどれほどの規模を誇っていたかを知ることができるでしょう。
江戸時代のものが残った三解脱門
空襲で全滅に近い被害を受けましたが、それでも増上寺にはいくつかの伽藍や宝物は残りました。
中でも、浜松町の駅からまっすぐに歩いてくると目の前に広がる山門は三解脱門と言い、東京タワーと重なるその姿は東京の代表的な景観として紹介されてきました。この三解脱門、最初は慶長16(1611)年に建てられますが、大風(台風ですかね)で倒壊、元和8(1622)年に再建されたものです。空襲を逃れた唯一の建造物です(門はいくつか残っています)。
そして、家康の大河ドラマが来年公開となる現在、通常は非公開の三解脱門が一般公開されているのです(11月27日まで)。
そこはやはり急な階段
これは、三解脱門の再建から400年を記念しての公開となりますが、11年ぶりのことです。11年前と言えば、東日本大震災の被害からの復興勧進だったのかもしれません。日本中のお寺で東北地方のお寺への支援を呼びかけていましたから。
さて、私が訪ねた日は平日の正午くらいだったこともあり、混雑もなくスムーズに門内に入ることができました。元から設置されている階段の上に現代の工事現場にあるパイプ階段が設置された形での登上でしたが、急なことこの上ない。さすがにスカートやヒールでの上り下りは避けた方がよいと思われます。
11年ぶりに公開された楼上の仏像群
楼上には釈迦三尊像(釈迦如来・普賢菩薩・文殊菩薩)、十六羅漢像、増上寺歴代上人の像が並んでいます。ここからの景色は現代でもすばらしいものですが、高い建物のない江戸時代には大変人気を集めたといいます。もちろん将軍の菩提寺ですから、一般の庶民が自由に散策できる場所ではありませんでしたが、それでも春秋のお彼岸など年に数回の機会はあったようで、その賑わいは錦絵にも描かれるほどでした。
仏像が製作されたのは、天正末年から慶長前半あたりと推測されています。
ひと味違う家康の肖像画
増上寺と言えば、家康が寄進した大蔵経三版や五百羅漢図といった寺宝を所蔵していますが、私が興味を持っているのが徳川家康を描いた肖像画です。他で見るどんな絵よりも人間的に描かれた、ちょっと厳しめの表情はまるでどこかの会社の社長さんのように見えます。あまり柔和な感じはせず、むしろこの人の前に出たら緊張してしまいそうな印象です。菩提寺だけに遺影みたいなものだったのかもしれませんね。
この期間、宝物展示室では、三解脱門の歴史や建築技法、浮世絵なども併せて展示した企画展も行われていますし、もちろん徳川将軍家墓所の見学も可能です。後で知りましたが、夜間公開(すでに終了)やはとバス(東京駅出発/東京タワー見学含む)ツアーも用意されているようですね。
というわけで、来年は家康ゆかりの地はますます混雑しそうです。来年あたりから、少し三河や駿府あたりの神社仏閣もご紹介してみたいと思います。ちなみに、増上寺のそばには、今、女子に人気の宝珠院や金地院、蛇塚などのスポットもありますので、東京タワーに登らずとも、1日散策が楽しめることと思います。木枯らしが吹く前に是非どうぞ〜。
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